大阪に向かう新幹線の中で、買ってたのに読むヒマがなくて放置してた「ハチミツとクローバー」の10巻を読みました。
なんですか?この終わりは・・・。イマイチ気分がスッキリしないんですが・・・。天才的な絵の才能を持っているはぐちゃんは、同じく天才肌の森田を好き。LOVEです。はい、ここまでは前回までで納得の流れです。はぐちゃんは手に致命傷的な怪我を負ってしまう。リハビリを懸命に続けても、元の状態に戻れるかわからない。絵を描きたいという、自分の夢が消えそうなる・・・。
はぐちゃんが怪我をして病院に入院している間も、辛いリハビリを続ける間も、大学で絵を続けている間も、彼女のアーティストとしての才能を認めて、いつでもそばにいてサポートしてくれているのは修ちゃん(美大のセンセで幼なじみ)。
で、10巻を読み始めてすぐに展開が・・・!!えっ、森田じゃなく、修ちゃんを選ぶの!?ですよ!!!ビックリですよ。今まで修ちゃんからも、それらしい気配(はぐのことをスキらしいという素振り)もなく、なのに、はぐちゃんは、森田に別れを告げ、修ちゃんに「修ちゃんの人生を私にください」「一緒にいて、最後の最後まで」と伝える!えええっ。はぐちゃん!アナタの好きな人は森田だったのでは??
はい、つまりは・・・はぐちゃんは、アーティストだった、といことのようなのです。
ミュージシャンや芸術家、クリエイター・・・自分の感覚や才能を信じて生きている人たちは、ホント自分のことだけで精一杯みたいなんです。人のことまで面倒みきれないというか、むしろ自分のことを面倒みて欲しいって感じなんだと思うんです。実生活でもいろいろな人を見てきたけど、天才と思われる域に近いアーティストほど、そんな感じです。社会性も著しく欠落している人も多いし。それでもいい、って、周囲を納得させてしまうだけの才能がある人は、そうやって自分の道を---生き様である自分の作品を生むという道を歩んでいくんでしょう。でも、そういうのって、結構男の人に多いパターンだと思ってきました。女性はやっぱり恋愛を選んでしまったりするから。
だけど、はぐちゃんは天才アーティスト系だったんですね。自分が作品を生み出していく道が、自分にとっての1番大切なことで、選んだ男の人も、その自分の生き方を支えてくれる人・・・自分自身を犠牲にしてでも、はぐちゃんを必ず支えてくれる修ちゃんを選んだ、と。なかなか言えないセリフですよ。「あなたの人生をくれ」だなんて。私は絵を描きたい。だから私に尽くしてくれ、と言ってしまうなんて!女性が言うには、かなり珍しいセリフだと思います。森田自身も天才肌だから、お互いがお互いの才能を認めることはできても、その才能に魅かれることはできても、生活はできない、というジャッジなんでしょうか。森田も、冷静に見たら、彼のことを支えてくれる人が必要になってくるのかもしれないしね。
アーティストとして生きるか?女性として生きるか?
う~ん。わかるよ。わかるんだけど、女性としては、恋に生きて欲しかったような。まあ、修ちゃんもカッコいいから、当然好きは好きなんだろうけど、森田との一時の恋よりも、家族のように積み重ねてきた愛を選んだ、とも考えられるワケですね。
はぁ・・・凡人のkiyoriには、到底「天才」の気持ちはわかりません。「私のために生きてくれ」と言うコトと、「あなたのために生きる」と言うコト・・・いろんな生き方があって、いろんな愛情表現があるのね。
なにはともあれ、それぞれの道を歩き出して、おしまい。そうね、10巻で終わってちょうど良かったんじゃないかな。人気があるからと言って、無闇にストーリーを延ばして、最後はつまらないエンディングを迎えてしまうコミックをたくさん見てきたから、ここで終わるのは、正解だったと思いマス。でもね。。。
完璧に納得のいくエンディングのコミックなんて、なかなかないよね。読者は勝手なことを言うだけだし、ね。「NANA」はどういう風に終わるのかなぁ。